阪急バス路線物語(BLOG ver.)

阪急バス・阪急田園バスが運行する京阪神地区を中心に、「バス停」とその風景を撮り続けています。

地藏道(じぞうみち) [運賃区界]

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 京都府京都市南区上鳥羽石橋町にあった運賃区界地点。なおこの記事では運賃区界地点名称の「藏」の文字は当時の書類を尊重し「蔵」の旧字体を採用した。
 1953年8月1日、京阪線(天六~七条大宮系統、京都急行線とも)の運行開始に伴って設定された。もともと当地は京阪バスの運行エリアであるが、この地藏道には京阪バス・京都市バスの停留所が設置されていなかった。また、阪急バスは急行運転を行っており、運賃区界の停留所としてはこの地藏道が設定されていたものの、阪急バスが乗降扱いのために停留所を設置することはなかった。1958年9月10日、京都急行線は久世橋経由となったことで、廃止された。

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 淀・大阪方面に向かって撮影。当地から南に200mほど歩くと京都市バス「鳥羽大橋北詰」停留所がある。阪急バスが京阪国道を経由していた頃、京阪バス・京都市バスともに上鳥羽~城南宮間には停留所を設置していなかった。

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 地点名称にはある「地藏」とは、鳥羽地蔵こと浄禅寺が由来であると思われる。湿地帯であったこの付近に京阪国道が敷かれる以前から、現在地点付近から鳥羽地蔵につながる道があった。現在でもその道は残っているが、「地蔵道」と名づけられたことを示す証拠は残っていなかった。

▼ 浄禅寺(鳥羽地蔵)

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 京阪国道から10分ほど歩くと、鳥羽地蔵こと浄禅寺がある。京都市バスの「地蔵前」停留所もここに設置されている(北行きはここから少し離れた一方通行路に設置)。

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 浄禅寺(恋塚浄禅寺)は1182年に開基したといわれている。平安末期、知人の妻に恋をしてしまった武士が知人に縁を切ることを迫ったところ、その妻が夫を殺してくれともちかけ、さらにはその妻が夫の身代わりとなって殺されたという悲恋の物語があった。その罪に恥じた武士は出家し、上人となってその妻を弔うためにこの寺を建立したといわれている。
 地蔵堂に安置されている地蔵菩薩は、平安時代初期に小野篁が逝去し冥土へ行き、生身の地蔵尊を拝んで蘇ったあと、一本の木から刻んだ六体の地蔵の一つとして伝えられ、これが「鳥羽地蔵」と呼ばれている。毎年8月22・23日の京都六地蔵巡りには多くの参拝者でにぎわうのだという。(参考:京都市作成の現地案内看板)

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 地蔵前を経由する京都市バス[18]二条駅西口~四条大宮~九条大宮~東寺南門前~羅城門~久我石原町系統。大宮通を経由して京都市内~上鳥羽方面を50分ほどかけて南北を縦断する路線で、30分間隔で運行しており運行本数もそこそこ。運行は阪急バス横大路支社に委託している。

2018.2.3
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