阪急バス路線物語(BLOG ver.)

阪急バス・阪急田園バスが運行する京阪神地区を中心に、「バス停」とその風景を撮り続けています。

阪急バスよ、京都を目指せ!(1) -1953年8月 京都急行線(京阪線)と支線が結ばれた-

 1953年8月1日、京阪バスとの乗入協定により、今まで天六~小畑橋間の運行だった京都急行線(京阪線)が淀経由で七条大宮まで延伸。これに併せて大原野線が国鉄向日町~久世橋、桂線が阪急桂~七条大宮間にそれぞれ乗り入れることで延伸を果たしました。

 このとき、当時の阪急バスは路線免許の申請理由を次のように述べていました。
(漢字やひらがなの字体は現在のものに修正しています)
 本申請は昨年6月京阪自動車より其の路線の一部を譲受け依頼の懸念をば茲に解決せんとするものであります。当時此の方面に存する京阪バス路線を淀川を略境として分割致しました為に路線其のものの基盤が極めて不安定にして之れが運営上頗る不自然、不合理なる点を存して居るのでありまして例えて申し上げますならば一つの梯子を二つに分断した様なもので、これでは屋根にもとどかず物の用をなさないのでありますが丁度これに似たのが京阪線で御座います。
 元来京阪両都市連絡の使命を帯びた此の路線を現在の終点小畑橋にとどめては全く意味がありません。殊に他の交通機関との連絡もできず家一つない橋の上では尚更の事であります。更に桂線、久世橋線は樹木に例えますと一番大切な主根がないのであります。京阪神急行線とは一応連絡致しては居りますが之れとても地面にちょっぴり根をおろして居る程度で自らを養う主根から切られて居ります。どうしても充分な養分を吸収するためには大京都市内にしっかと根を下す必要があります。然らざる限り栄養失調は免がれません。
 斯る意味合から路線譲渡についての協約の際にも夫々分割後の相互の路線の在り方について検討を行い乗入れについての基本方針を決定致して居るので御座います。然るところ今般愈々之れが路線延長について別紙の如く協定を締結致しましたので京都西南郊西山方面一般住民の市内直通の便を供与しまして茲にお願い申し上げる次第で御座います。
 何卒格別のご詮議を以ちまして至急御免許頂きますよう重ねて御願い申し上げます。

 今回の連載コラムは、主根として設定された『京都急行線』の初期段階である淀経由、枝である路線のうち『桂線』の阪急桂~七条大宮間にしぼって紹介していきます。

路線略図(クリックとすると拡大します)
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1. 京阪バスからの路線譲渡。まずは七条大宮を目指して。

 京阪バスからの大規模路線譲渡によって、営業開始の際して、在来路線との有機的な結合、車両の再配置等などによる合理化、休止路線の復活など、さらに沿線地域の路線開発に力を入れていくことになった阪急バス。 
 阪急バスが京阪バスから承継した路線のうち最も幹線的性格を持つのが、大阪・天神橋筋六丁目(天六)~茨木・高槻経由~大山崎小畑橋という産業国道を走る路線でした。 
 ところで、戦後、郊外バス路線は大都市中心部への乗入を積極的に進めていました。
 阪急バスでもこの流れに乗って、京阪を含めた在阪郊外バス会社4社とともに大阪市内乗入を計画、1948年2月、第一次乗入を果たします。一方で、京都側についても市街への乗り入れを加速させていきます。京阪バスは、この時期京都市内乗入に力を入れ、七条大宮~阪急四条大宮と国鉄京都駅間の相互乗り入れを京都市との間で実現させることとなりました。
 その後、1950年3月に天六への大阪市内第一次乗入を果たし、京都四条大宮~天六間の運行系統を設定しました。この系統は、京都~小畑橋間の淀川右岸の産業国道が未整備であったことから、淀川左岸京阪国道の淀から淀川を渡り小畑橋へと通じる経路をとり、1日1往復の運行を行っていたのです。 
 阪急バスは京阪よりこの路線を譲り受けるにあたって、京阪間直通系統を存続させるべく京都四条大宮への乗入を要請、基本的にはその了解を得られたものの、七条大宮~四条大宮間が、京都市交との協定区間で、改めて同局の同意を得なければ解決出来なかった事情がありました。しかも、阪急バスと京阪バス両社間の路線譲渡による相互乗り入れに関する細部協定に時間を要したことから、この京阪直通運転の計画を一時保留して、茨木中河原~天六間の運行を開始します。 
 1952年1月、阪急は京阪との間で相互乗り入れ運転について了解し、協定の締結となったのです。 
<相互乗り入れ区間> 
・阪急の乗入区間 
  阪急東向町駅~久世橋 2.6km 
  阪急桂~七条大宮 4.9km 
  小畑橋~七条大宮 13.4km 
・京阪の乗入区間 
  小畑橋~大山崎 2.4km 
  阪急高槻市駅~国鉄高槻駅 0.3km 
  阪急茨木市駅~国鉄茨木駅 1.9km 
  阪急東向日町駅~向日町競輪場 0.9km 
 この協定の締結により、阪急は、小畑橋で分断している産業国道線を淀川左岸の淀を経由して七条大宮への乗入を取得しました。さらに阪急東向日、桂より七条大宮への乗入もあわせて確保することになりました。一方で、京阪・阪急両電鉄間の短絡輸送については従来どおり京阪バスが分担することにし、阪急バスの路線エリアへの乗入を認めるとともに運行系統、運転回数の制限をつけずに相互の任意によるものとなりました。

 1953年(昭和28年)6月に認可を得た書類から、当時の運行計画を見てみましょう。

▼ 運行ダイヤ(計画)
七条大宮 天六 天六 七条大宮
8:30 9:40 10:00 11:10
13:00 14:10 14:30 15:40
16:00 17:10 18:00 19:10
 停車停留所:天六、吹田、中穂積、阪急高槻、大山崎、淀、下鳥羽、上鳥羽、東寺南門、七条大宮

▼ 距離・運賃表(計画)(クリックとすると拡大します)
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▼ 車両
 宝塚営業所に所属していた有馬急行線の予備車両2両を京阪線用の車両として東向日町営業所に転籍。常用1台・予備1台として配置。1950年製。旅客定員は座席30名。
▼ 予想利用者数
 全線を通して片道1回30人を計画する。

2. 京阪連絡を諦めない。更なる延伸を目指して。
 さて、この後、阪急は、京阪との運輸協定に基づいて、七条大宮~天六間を27往復に増回し、京都・大阪両都心の直結、および向日市域~京都への短絡路線の開発計画をもって申請することになります。また、京都市との間では、市内中心部乗入の協議を重ね、京阪直通運行に備えていきました。
 この頃、京阪直通バスについては、淀川左岸の京阪国道の道路拡張が進むにつれて、京都祇園を起点とし大阪難波間を途中無停車で1日47往復という運行計画をもつ日本急行バス(株)が誕生し、1952年2月に、事案の申請をするに当たって、阪急バスは京阪バスとともに路線防衛に取り組むことになります。この時期、阪急バスは大阪市内第二次乗入事案の紛糾、加島線にトロリーバスの進出事案などの山積みする問題の解決に苦慮していたところでした。
 1952年12月、郊外バス5社の大阪・内本町バスセンター乗入免許を取得したことに続き、京都側でも七条大宮~河原町御池間(京都市役所前)間の乗入運輸協定を京都市と締結。
 これにより、京都市役所~大阪内本町間の直通急行バスを1日36往復する運行計画に変更、1953年6月に免許を得て、8月1日、大阪内本町BCの完成とともに、阪急は13両の新造車を導入、車内はロマンスシート、沿線案内をまじえながら、所要時間90分の急行運転を開始することになりました。一方、先述の日急バスの事案(祇園~難波)は却下されています。
  開通当初の京都急行線は、茨木営業所を基地として、1953年9月に京都西院に車庫を設置し営業を開始します。京都地区の営業基盤を求めるために、1954年2月に河原町御池に京都営業所を開設し、同線の移管を計ることとしました。
  1958年9月、産業国道線の道路開通をまって、京都急行線は久世橋経由の路線に乗せ替えを行うこととなったのでした。

補足.2018年1月現在で小畑橋~淀~七条大宮間を走る路線バス
 阪急バスが撤退した小畑橋~淀~七条大宮間ですが、現在でも京阪バスや京都市バスによる運行が行われています。なお、阪急バスでは2013年12月21日に京阪バスと共同運行によって、JR長岡京~阪急西山天王山~京阪淀駅間の運行を開始、宮前橋を利用して淀川を越える路線が55年ぶりに復活しています。

・小畑橋~淀間を走るバス(京阪バス[13]JR山崎~京阪淀駅 系統)

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・淀~下鳥羽~上鳥羽~東寺南門 間を走るバス(京阪バス[26]京阪淀駅~京都駅八条口 系統)
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・淀~富ノ森~八丁畷 間を走るバス
(京阪バス[24A]京阪淀駅~京阪中書島~竹田駅西口 系統)

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(京都市バス[20]横大路車庫~中書島~菱川・免許試験場前・京阪淀駅・南横大路 方面循環 系統)
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・下鳥羽~東寺南門 間を走るバス(京都市バス[19]横大路車庫~中書島~京阪国道経由~京都駅八条口 系統)
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