阪急バス路線物語(BLOG ver.)

阪急バス・阪急田園バスが運行する京阪神地区を中心に、「バス停」とその風景を撮り続けています。

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阪急千里山から千里ニュータウンへ( 創設期の千里ニュータウン線 )

千里山駅からはじまった千里ニュータウン輸送 
 1962年に佐竹台を皮切りにまちびらきが行われた千里ニュータウン。あれから50年以上経過した今、ニュータウンの各所で「再生」に向けた事業が展開されています。
 千里ニュータウンにおける鉄道輸送は、阪急千里線が1963年8月29日に新千里山(現・南千里)駅への延伸を皮切りに拡大していったのはご存じのとおりですが、この間にも第1期佐竹台・第2期高野台がそれぞれまちびらきしていき、住民を運ぶ必要が出てきました。この記事では、まちびらきから阪急千里線が南千里駅まで延伸するまでのバス輸送についてご紹介します。

(1)第1期・佐竹台地区 まちびらき

19620915_senri_line.jpg
 1962年9月15日、第1期佐竹台住区のまちびらきに伴って、千里ニュータウンへの輸送は開始されました。七尾~一本松間3.1km、阪急千里山~九十九間4.15km、佐竹台5丁目~センター前間1.3kmの各区間がそれぞれ延長となりました。画像は千里ニュータウン線の運行開始当初の路線図と運賃区界図です。(池田文庫所蔵の資料を基に作成)

 当時の運行系統は、阪急千里山~千里ニュータウン~国鉄吹田、阪急千里山~千里ニュータウン~山田弘済院、国鉄吹田~千里ニュータウン~山田弘済院の3系統が運行されていました。
 佐竹台との接続駅は「阪急千里山」「国鉄吹田」の2駅でした。接続する各駅との運行回数は、阪急千里山で20回、国鉄吹田で50回。11両の車両が配置されたようです。(阪急バス50年史(p.182))

(2)第2期・高野台地区 まちびらき
 翌1963年6月10日には第2期高野台住区のまちびらきに伴って、佐竹台2丁目~佐竹台5丁目間1.55kmが延長となります。阪急千里山で129回、国鉄吹田で59.5回の運行が実施。19台もの車両が配置されました。

(3)阪急新千里山(現・南千里)駅開業、その後
 それから2か月ほどで、阪急千里線が新千里山(現:南千里)へ延長。これにより、1963年8月29日、佐竹台・高野台地区への輸送は阪急新千里山駅での発着が主体となり、阪急千里山への運行は同時に廃止されました(阪急千里山~南公園口 3.15km廃止)。
 これにより、「阪急新千里山循環」「阪急新千里山~国鉄吹田」「上新田~阪急新千里山~国鉄吹田」の3系統に改編され、19両の車両により141回の運行がなされました。
 これ以降、阪急新千里山駅は、第3期・津雲台(1964年4月16日、8月10日)、第4期・古江台/藤白台(1964年5月20日、1965年4月8日)、第5期・青山台(1965年6月16日、8月18日)、第6期・北町(1966年4月1日)といった各地域とを結ぶ循環路線のハブターミナルの機能を有していきました。1967年3月以降、阪急千里線の北千里駅への延長、北大阪急行線の千里中央駅・桃山台駅の開業、阪急山田駅開設などにより、現在の路線網が形成されていきました。


(4)「阪急千里山」バス停があった場所
 1962年9月15日の運行開始から1963年8月29日の路線再編まで、1年たらずの設置であった「阪急千里山」バス停。場所は駅西口から北へ60mほどの位置、現在の阪急タクシー駐車場のあたりに設置されていたようです。駅前(西口)には現在もバスが停留できるようなスペースはないので、苦肉の策だったのかも知れません。

(5)結びとして
 「最寄りの鉄道駅と住宅団地を結ぶ」路線の皮きりだった阪急千里山駅。2016年9月4日、東口に新しい駅前広場が併用開始となりました。半世紀ぶりに千里山駅に路線バスが乗り入れる…といったことも実現するのかも知れません。
 まちびらき初期段階のバス輸送は、路線再編やダイヤ改正が繰り返し行われているため、当時の様子を調査することは容易ではありません。半世紀以上経過した今だからこそ、じっくりと調べていく必要があると考えています。

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