阪急バス路線物語(BLOG ver.)

阪急バス・阪急田園バスが運行する京阪神地区を中心に、「バス停」とその風景を撮り続けています。

日赤病院前(にっせきびょういんまえ)

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 高槻市阿武野1丁目、高槻赤十字病院サナトリウム前にあった停留所。
 1958年6月1日に日赤前(現在の市バス日赤病院南に相当か)~日赤病院前間を延伸することで新設された。1974年11月11日には付近を0.3km廃止し、1975年7月1日に廃止された。
 1990年代後半以降、結核病棟が廃止されるなどして日赤病院の敷地は減少、跡地には別の団体施設による建物が建造されており、当時の様子をうかがうことは不可能である。

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 かつて「日赤病院前」停留所があった場所には、施設利用者向けの高槻市バスの乗り場が設置されている。臨時バス自体は一般客の利用もできる。

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 末期の「日赤病院前」バス停があった場所にはグランドが出来ている。地元の方の話では、「開発が進んで、どこにバス停があったというようなものはもう残っていない」とのことだった。

2016.9.11
コラム: 日赤線(阪急茨木~日赤病院)について
 高槻市内を走っていた阪急バス路線として、阪急茨木~国鉄富田~日赤病院系統があった。高槻市バスと競合していたことから1975年7月1日に廃止となる。運行開始から廃止までの概観をふりかえる。

▼ 高槻日赤病院について
 1941年11月、阿武野1丁目(現在の真如苑)に開業。当時は伝染病患者を収容する施設として、茨木市側には五日市に五カ村組合立伝染病院があった。1970年1月には外来診療棟での診療を開始し、高槻赤十字病院となる。1997年3月、当初からあった結核病棟を廃止した。
 日赤病院の北側敷地には、1993年3月に宗教団体「真如苑」の施設・悠音精舎が竣工している。

▼ 日赤線の運行開始から廃止まで
 大正期、茨木自動車が省線茨木駅から高橋を経由し中城方面や島・鳥飼方面への運行を開始する。1928年、新京阪線の開通により、新京阪茨木町駅へ乗り入れ、中城から省線富田駅前まで延長したが、1934年には旅客僅少のため国策として休止。1942年、茨木自動車の鳥飼路線は軍需工場だった鐘淵化学の従業員運搬用に買収され、中城方面などは茨木広運社・摂丹自動車とともに京阪自動車へ譲渡される(時期はそれぞれ異なる)。こうした動きのなか、1943年12月に日赤線は京阪バスによって運行を開始した。
 1951年6月1日、阪急バスは京阪バスの淀川右岸路線譲受により日赤線(日赤前~阪急富田間)の運行を開始。1952年9月25日、阪急富田~国道富田間廃止を許可される。1958年3月29日、国道富田~国鉄富田間延長し、阪急茨木~国鉄茨木~国鉄富田~日赤病院系統となる。
 阪急バスにおける日赤線は、日赤病院の通院者や見舞客を、阪急茨木・国鉄富田から1日9往復の運行していた。この地にも宅地化が進み、通勤通学を対象とする生活路線へと変化する高槻市バスが、輸送力の増強を進めていった。これに対して阪急バスは、昼間時間帯で、しかも病院関係者の輸送を主として運行しており、将来的にも採算が良くなる見込みはなく、むしろ市バスによる運行の一元化を望んだことから、廃止に踏み切ったのである。
 1958年6月1日、日赤前~日赤病院前間0.8km延長、0.1km廃止。1971年4月5日、今城塚付近路線変更。1974年11月11日、日赤病院前付近0.3km廃止。1975年7月1日、国道富田~日赤病院前間3.2km廃止。

▼ 運行内容(1964年)
 ・起点,経由地,終点,キロ程:阪急茨木,国鉄茨木,日赤病院,8.35km 
 ・運賃:20円 
 ・始発時刻、終発時刻:往9:00/復9:30、往17:30/復18:00 
 ・所要時間,運行回数:27分、7往復 
 ・阪急茨木~国鉄茨木春日疣水神社前赤大路国道富田国鉄富田
  (ここから右記は全停留所記載)国道富田宮田氷室今城塚岡本阿武野小学校前土室日赤口日赤新館前日赤病院

▼ 競合していた高槻市バスについて
 1925年に寺本安太郎名義で免許を受ける。原大橋線(高槻~原大橋)、塚脇線(高槻~塚脇)、成合線(高槻~成合)、唐崎線(高槻~唐崎)、柳谷線(高槻~柳谷)、別院線(高槻~東別院)、奈佐原線(高槻~奈佐原)の7路線を運行していた。市内交通の利便を図るために、市営バスの運行を計画する高槻市は、運輸省から日之出バスを買収するようにとの意向を示されるが、交渉は難航する。そこで、仲介役として阪急バスに交渉を依頼。1953年12月17日、日之出バスの路線は阪急バスに譲渡される。1954年2月3日、阪急バス下の旧日之出バス路線が高槻市に譲渡され、市営バスの運行が開始されることとなる。
 1958年4月1日には国鉄高槻~日赤病院間の路線が開業する。1975年7月、阪急バス日赤線の廃止に伴い、国鉄富田・日赤病院系統の運行を開始した。

▼地元での聞き取り ・土室の名神高架下では離合が出来るように旗振り役がいた。
 ・阪急バス路線が開通するまでは、安威まで出て、阪急バスに乗って茨木へ。そこから列車を乗り継ぎ、高槻市内の学校へ通学していた。

▼ 参考資料・文献等
 茨木市史、高槻市史、阪急バス30年史、阪急バス50年史、全国バス路線便覧、その他

▼ 謝辞
 実地調査・文献調査にあっては、地元在住のT様、K様、情報誌「きつつき21」様の多大なご協力を賜り、資料提供および貴重なお話を伺うことができました。この場を借りて、あつく御礼申し上げます。

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