阪急バス路線物語(BLOG ver.)

阪急バス・阪急田園バスが運行する京阪神地区を中心に、「バス停」とその風景を撮り続けています。

天六(てんろく)

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 大阪市北区天神橋7丁目、阪急天神橋筋六丁目駅前にあった停留所。社史や当時の時刻表を見ると、「天神橋六丁目」ではなく「天六」が正式な停留所名称だったようだ。
 阪急バスの停留所としては、1951年6月1日、京阪バスから路線を譲受することで新設された。この譲受の際には、天六~四条大宮系統の運行が京阪バスから譲り受けたものの、京都市バスとの調整がつかったこともあり、天六~市場~中河原系統として9往復の運行を開始した。同時に、天六営業所(場所は不明、1952年に茨木営業所に統合)を開設して、天六~市場~弘済院系統(9往復)の運行を開始した。天六~中河原系統については京都市バス・京阪バスとの調整を終えた、1952年1月に天六~七条大宮系統として27往復に増回している。
 1953年8月1日、阪急バスの路線免許として長柄橋南詰~内本町間が延長されたことで、大阪市内第二次乗り入れが実現した。これにより、旧三島郡側からの大阪市内発着点が天六から更に南下されることになった。
 1964年当時、天六を経由するバスは京都急行線(河原町尾池~本町四丁目)のほか、山田線として天六~上新庄~吹田市役所前~下山田~山田宮ノ前~山田弘済院系統(14.6km)、天六~国鉄茨木北口~阪急石橋系統(28.67km)などが運行されていたようである。
 しかしその後、鉄道網の整備などにより大阪市内乗り入れの意義がなくなっていき、1970年1月10日には天六~内本町二丁目間が廃止、さらに同年9月21日には吹田(現在の吹田北口)~天六間が廃止されたことで、天神橋筋から阪急バスは姿を消すことになった。

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 南森町方面に向かって撮影。

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 現在の北行きの様子。現在は大阪市バスと阪神バスの停留所がある。

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 北向きの標柱。阪神バスと大阪市バスの2つの標柱が並んでいる。

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 現在の南行きのりばの様子。

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 大阪市バスの標柱がある。

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 南向きバス停の目の前には「大阪市交通局 天神橋操車場」というものがあった。現在は天神橋筋六丁目駅の出入口になっているようだ。

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 さらに北側に目を向けると・・・。

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 この駐車場一帯は古い地図では「大阪市バス降車場」と書かれていた。阪急バスもここで転回していたのだろうか。

2016.4.2

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